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「環境問題について」
現在、これ程までに地球的規模の環境破壊の問題が取り沙汰されていながら、私たちは、身の周りに起こっている環境問題について、あまりに知らないことが多すぎる。 都市で便利に生活しているだけでは、消え行く熱帯林も、オゾンホールの増大も、目には見えないそれらは、遠くかなたの対岸の火事であって、今の生活に悪い影響は何一つ及ぼさない。頭では、知識では解っていても、現実に地球が今、どのくらいのスピードで破滅へ向かっているのかは、私たちの目には、体感実感することなく、ただ数値のみでしか入ってはこないのである。 わたしも、今までに何冊となく「地球にやさしい生活」のための本を買い込み、ひとつでも実行できたらと試みた。けれど―もちろん一人でも、実行する事は大変有意義な事ではあるけれど―何の準備も設備も協力もなく、ただ一人で今までの生活を変えて行くというのは、いかにも大変で、無意味なことの様に思えて、結局は、常に頭の中では意識しつつも、便利な方へ便利な方へと流されていってしまうのである。 大きな地球の深刻な問題について、小さな人間である私たち個人はいったい、何をどうすれば、進行する地球破壊への道を食い止めることができるのか―。 人と自然は、本来お互いに相容れる存在であると私は考える。にもかかわらず、今、自然と共に生活する、という事を考えた時に、何をもってすれば「自然と共に」生活するという事になるのか、全く見当もつかない。それだけ便利で何の不自由もなく暮らしている私たちにとって、所詮、「自然と共に」生活する、ということは限りなく不可能に近い現実の夢の様に思える。もちろん、その基準が太古の昔の様な生活を指すならば、全く無理な話であるし、それが、つい数十年前を指すのならば、やってできなくもないかも知れない。けれど、人間が時間という常に進み続ける空間に住んでいる限り、「昔に戻る」のではなく、「新しい世界を創って行く」より他、方法はないのではないだろうか。 人一人の影響力など、大した事はない、と考えるとき、環境破壊は、加速される。実際、一人の影響力というのは微々たるものだと思う。しかし、その微々たる力も集まれば、大きなエネルギーに変わる。何事もそうである様に、小さな努力の積み重ねが大きな効果を生む。そうは解ってはいるけれど、現実に何をすれば良いのかが、わからない。無知であることは、全て、個人の責任だろうか。 環境破壊を阻止するためには、まず、「環境を守るための環境作り」が、必要だと感じる。 それには、政府や自治体の積極的な取り組みが必要不可欠な要素となる。例えば、空き缶の回収箱を駅の前だけなどといわずあちらこちらに置く。それも、現在一部の町で行っているように、「10円が戻ってくる」とか「コインを集めて図書券に換える」というシステムがより良いと思われる。それは、決して「得にならなければ」協力しない、というものではないし、逆に絶対に無償でなければいけない、というものでもない。この世の中であれば、やはり、give&takeでこそ、進んで協力するのが、ごく自然な形だろう。環境問題は、興味を持つ、持たせることがまず必要なのだから。 それに伴って、重要な役割を担っているのが、企業である。ビンの形を統一する、ダイレクトメールを極力少なくする、再生紙を積極的に使う、等々私たちには思いも付かない様なアイディアが数多とある様に思う。力のある、大きな企業ほど(もちろん 現在既に、再生紙などは多くの企業で使っているだろうけれど、)自社の発展についてと同じ位のウエイトをおいて、世の中にその意識と方法を発信すべきである。 政府・自治体と、企業のタイアップによる、環境保護の為のシステム作りも必要になるかもしれない。 どちらにしても、個人参加のできるレベルについての窓口があまりに少なすぎる様に思う。私たち個人々々が、いくら「環境を守らねば」と意気込んでみても、環境を守るための環境がなければ、そのエネルギーも無駄に消費されるだけである。個人参加のできないシステムは、本来の期待できる効果の半分以上を無駄にしているのではないだろうか。 そして次に、「お店」である。例えば、フランスやドイツでは、過剰包装はもちろんの事、本当にそっけない程に「包む」という事をしない。日本では、ペン一本にも、パンひとつにも紙袋や、ビニール袋を使う。そうして、捨てられる運命のためだけに生まれてきた紙やビニールが、毎日毎日小さな物を包んでゆく。そして、世の中に今、ゴミ処理場がなくなりつつあるのである。これほど不合理な話はない。それらの紙袋やビニール袋を与えられた私たちは、もったいないと思いつつ、再利用の方法を知らぬまま、捨てるしかないのである。こうして、悪循環が、形成されていっているのだ。 最後に、私たち個人レベルでの意識的な参加が来る。最も重要でありながら、最も参加に困難な場所に置かれている一人一人の協力である。ここで参加するか否かによって、はじめてその責任を問われるのではないだろうか。 こうして、個人の参加できる、世の中が一体となった「環境を守る為の環境」作りが完成される。 その裏で、環境を守るシステムを支える役割を担うのが、学問である。今の全世界の、あらゆる学問の力を全て使って、汚れつつある地球を浄化しなければならない。 例えば、そう簡単にはゆかないのだろうけれど、今までに空気中に放出された汚れた物質を中和、あるいは浄化、もしくは他の害のない物質に変換させるようなものを、現在の科学の力をもって作り出す事は不可能なのだろうか。 私、様々な学問について、何の知識もないので、なんおアイディアも浮かばないが、きっとどんな分野でも、関連性がある筈だと、思うのである。 音楽を含め、文化の必要性が、必ずあると、私は信じている。文化というものは、一番なくても生きて行けるものの様に見えていながら、本来、人の知らないうちに、その心を浄化するものなのではないかと思う。文化が生まれたのは、それが必要であったからであって、決して無駄にあるわけではないのである。しかし、文化人の生活が自然を無視しがちになるのもまた真実ではある。それには、充分に言い訳のできる(主に精神的な)理由があることが多い。けれど、文化の道を歩んでいる一人として、やはり、環境問題には積極的に意識を向け、取り組む事が必要だとも思っている。 |
1994年(大学2年次)レポート